イギリスの政治家第14代ダービー伯爵
エドワード・スミス=スタンリーEdward Smith-Stanley
14th Earl of Derby
生年月日1799年3月29日
出生地 グレートブリテン王国、イングランド、ランカシャー
没年月日 (1869-10-23) 1869年10月23日(70歳没)
死没地 イギリス、イングランド、ランカシャー
出身校オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党ホイッグ党→ダービー派→保守党
称号第14代ダービー伯爵、ガーター勲章勲爵士(KG)、枢密顧問官(PC)
配偶者エマ
親族第13代ダービー伯爵(父)
第15代ダービー伯爵(長男)
第16代ダービー伯爵(次男)
サイン
首相
在任期間1852年2月23日 - 1852年12月16日[1]
1858年2月25日 - 1859年6月[1]
1866年7月6日 - 1868年2月25日[1]
女王ヴィクトリア
アイルランド担当大臣
第14代ダービー伯爵エドワード・ジョージ・ジェフリー・スミス=スタンリー(英語: Edward George Geoffrey Smith-Stanley, 14th Earl of Derby, KG, GCMG, PC, PC (Ire)、 1799年3月29日 - 1869年10月23日)は、イギリスの政治家、貴族。
保守党とピール派の分裂後にロバート・ピールに代わって保守党党首となり、3度にわたって首相(1852年、1858年 - 1859年、1866年 - 1868年)を務めた。しかしいずれも少数与党の短命政権であり、事実上選挙管理内閣だったため、庶民院院内総務の地位にあったベンジャミン・ディズレーリが政局を主導するところが多く、影の薄い首相だった。1868年に退任し、ディズレーリが保守党党首・首相の地位を継承した。
1834年から1844年まではスタンリー卿(Lord Stanley)の儀礼称号を使用し、1844年にビッカースタッフのスタンリー男爵(Baron Stanley of Bickerstaffe)を、1851年にはダービー伯爵位を、それぞれ継承した。 第13代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリーの長男。イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学する(→生い立ち)
概要